癒してくれるのは時間のみ

私は今まで40年以上生きてきて、私なりのショッキングな出来事がいくつかありました。特に人の死は耐え難いものがあります。事故をした相手が亡くなってしまったり、お袋が病に侵され苦しんで息を引き取ったり、長年連れ添った相方が亡くなってしまったり。今回の震災での犠牲者の身内の方々は、天災という誰を恨むこともできない相手だけに、辛い思いの矛先はなく、嗚咽と涙が止まらず、意識も心も朦朧としていることかと思います。
そして、当事者でない側は、その方の苦しみや悲しみを少しでも癒そうとやさしい言葉をかけてあげたりします。しかし私の経験上、思いやる言葉に対して「ありがとう」とは言えるものの、思いや心は上の空の状態です。そして何度も何度もやさしい言葉をかけられると、「あなたに私の気持ちがわかるわけはない」と、逆切れしてしまうありさまです。
そんなふうに思うのはダメなことと自分ではわかっていても、心をセーブするほどの余裕はないのですよね。年を取れば取るほど、不幸の経験を重ねれば重ねるほど、徐々に自分をコントロールできるのですが、今まで経験したことがなかったほどのショッキングな体験の場合は、対処しきれぬ状態になってしまいます。
そしてこうなってしまった場合の解決方法は、時間以外にないと思います。何度もこの不幸を思い出しては泣き尽くし、気が滅入る日々が続きますが、3ヶ月、1年、3年、5年と月日が経つうちに、そのことの記憶は今も昔もリアルなままなのに、敏感だった心の感度は穏やかものに変わっていきます。打ちひしがれる悲劇が自分の人生の歴史の1ページに変わるまでは、かなりの時間と悲しみを要しますが、それをできるだけ早く変化させないと、自分自身が滅入るばかりです。私の場合、その経過を克服するために効果的だったのは、
・おもいっきり泣くこと
思い出しても辛いだけとわかっているのに、どうしても思い出してしまいます。それが何度も何度も。そのときは、疲れるまで泣くことです。嗚咽を発しながら、タオルに顔を埋めながら、その人のことを思い出し、疲れ果てるまで泣くことです。子供の頃に、泣いて泣いて泣き疲れて、そのまま寝てしまったことがありましたよね。あのくらいまで泣くのです。
・振り払うこと
その悲しみはいつまで経っても繰り返されますが、繰り返す原因は自分の頭。もしその悲しみが再び現れそうになったら、今現在自分が熱中しているもの、例えば音楽やゲーム、本、テレビやネット、スポーツや運動、あるいは仕事など、すぐに気が散らせる候補を作っておくことです。泣くには気が引ける大勢の人がいる場所へ行くとか、考えていたアイデアや図などを書いたノートを開いてその続きを書く、あるいは、読書中の本の文章をノートにひたすら書き写すといった行為も効果的でした。気を散らせることを頓服薬の変わりとして、いつもスタンバイさせておくと、それを持っていること自体からも安心感が生まれます。
亡くなった相手を思い出し悲しむ気持ちを思うと、そのことから逃げ、気を散らす行為は冷たい行為にも思えますが、もし亡くなった方が生きていたら、自分のために悲しむ姿など見たくはないと思います。


他の人の慰めや思いやりはありがたいことですが、結局解決するのは時間のみなんですよね。時間がある程度経たないことには聞く耳が持てず安定した情緒が取り戻せず、自分自身を変化させることは難しいです。辛さや悲しみは、時間が経つごとに癒され楽になるという事実を治療法として認識し、先に書いたような頓服薬を使いながら、悲観的になる気持ちの周期を徐々に広く弱くしていくことが、私の場合は効果的な対処法でした。また、その人の周りに立つ側のすべきことは、妙に気を使ったり、慰める想いを口に出すようなことはせず、遠巻きに様子を伺ったり、普段通りの何でもない会話をかけたりして、物理的にありがたく感じるようなこと(今回の被災の場合は生活物資でしょうか)を提供したりしながら見守るだけの行為が、本当にありがたく感じることではないかと思いました。


今回は人の命だけでなく、生活の場すら根こそぎ奪われ、精神的にも物理的にも追い込まれている状態なだけに、せめて物理的な面だけは人の援助にて助けられるといいでしょうね。津波で更地のようになってしまった場所で一から復興するとなると、時間とお金と労力が大量に必要となってしまいます。生まれ育った場所を離れるのは辛いかと思いますが、西日本の各役所では、被災者に市営住宅などの提供を行っている地域がいくつかあるそうなので、問い合せて一時こちらで暮らしてみてはいかがでしょうか。東北もいいところですが、西日本もいい所が多いです。仕事先は東北よりも多いと思うので、職種を選ばなければ生活は繋げられるかと思います。是非お越しください。